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餃子奇縁

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      本日はひとつ嬉しいご報告があります。

     日本で現存する最古の女性誌で、国木田独歩が初代編集長を務めたカルチャー婦人誌「婦人画報」。そのグルメサイト「婦人画報のお取り寄せ」に、我が清緑園の看板メニューである巣鴨餃子が掲載されました!

    掲載されたのは、巣鴨餃子の中でも特に女性に人気の「しそ餃子」です。なんだか自分の作品がどこかの展示会に展示されたようで、とても嬉しかったです。あまりにも嬉しくて、コーラ2本も飲みました(笑)

   いつも温かく見守ってくれている皆さまにもこの喜びを分かち合いたいので、ぜひサイトをのぞいてみてください。

 ・巣鴨餃子 しそ水餃子

 https://fujingaho.ringbell.co.jp/shop/g/g136F-016/

 ・巣鴨餃子 しそ焼餃子

   https://fujingaho.ringbell.co.jp/shop/g/g136F-017/

    さて、本題に入ります。今日は、餃子を通じて得た奇縁についてお話します。

    日本に本物の水餃子を広めることを目指して始めた巣鴨水餃子の通販は、今年で3年目に入りました。この3年間、私にとって一番嬉しく、幸せに感じたのは、餃子を通じて沢山の方と出会ったことです。普通に生きていたら恐らく一生接点がないはずの方とも出会いましたし、巣鴨餃子をより多くの人に知ってもらえるように色々考えてくれる方とも出会いました。

  その中でも、つい最近あった奇縁をお話しします。

     そのお客様は、Amazonで初めて巣鴨餃子知ってくださって、ご購入いただきました。そして、わずかこの1ヶ月間で、もう既に10回以上もご注文いただいています。こんな頻度で巣鴨餃子を食べたら飽きるのではないかと心配してしまいました(笑)。

     そのお客様が、先日わざわざ巣鴨・清緑園までお越しくださいました。直接お会いできて本当に嬉しかったのですが、せっかくお会いできたので、なぜこんなに頻繁にご注文してくださっているのか伺ってみました。そしたら、そのお客様のお母様が巣鴨水餃子を食べた時に「自分の母が作った餃子と同じ味だ」と言って、すごく感動したというのです。

  そのお客様のお母様は、戦時中、中国の東北地方にいたそうです。戦争が終了した時は12歳で、日本に戻ってくる直前は、私の故郷でもある葫蘆島(ころとう)にいらっしゃったそうです。だから私の作る巣鴨餃子がお母さまの思い出の味と同じだったのかもしれません。

 以前のコラムでも少し私の故郷、葫蘆島について触れました。戦後、葫蘆島から日本に戻った人たちが、二度とあのような戦争が起こらないようにと願いを込めて、葫蘆島市政府と一緒に記念牌を立てました。昨年帰省した時にそこに立ち寄ったのですが、その時の写真をここに掲載します。

記念牌

日本への帰国を待っている人たち

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