先週、仕事で三日間連続で会席料理を食べる機会があった。
どれも立派なお店だった。メニューが和紙に印刷され、器は美しく、季節感もある。一品一品から、料理人の細やかな技術が伝わってくる。着物を着たスタッフが、少しずつ丁寧に料理を運んでくる。
「やはり日本の会席料理はすごいな」と素直に感じた。
ただ、三日目の途中で、ふとこんなことを思った。
「なんだか、似ているな」
もちろん、料理そのものは違う。使っている食材も、盛り付けも、それぞれのお店の個性がある。それでも、どこか似た空気を感じてしまった。
そしてもう一つ、不思議なことがあった。
あれだけ何種類もの料理を食べているのに、なぜか強い満腹感が残らないのである。
決して美味しくないわけではない。むしろ美味しい。でも、「満たされた」という感覚とは、少し違った。
そして三日目、ついに耐えきれなくなった。
会食が終わった後、一人でラーメン屋に入り、ラーメンと焼餃子を注文した。ついでにコーラも頼んだ。熱いラーメンをすすり、焼餃子を頬張る。その瞬間、ようやく「満足した」と感じた。
その時、改めて思った。「すごい料理」と、「また食べたい料理」は、少し違うのかもしれない。
では、人は何度食べても飽きない料理に、何を求めているのだろう。
例えば、
湯気の立った餃子をみんなで囲む時間。
仕事帰りに飲むビールと焼餃子。
「熱いうちに食べて」と言われながら食べる家庭料理。
少し雑でも、出来たてで、遠慮なく頬張れる料理。
そういうものの方が、案外、人の記憶に深く残っている気がする。
もしかすると、人が本当に求めているのは、“情報としての美味しさ”ではなく、“気持ちがほどける食事”なのかもしれない。
もちろん、高級な料理を否定したいわけではない。会席料理には、日本人の美意識や季節感、職人の技術が詰まっている。本当に素晴らしい文化だと思う。
ただ最近は、それとは別に、「また食べたい」と思える料理の強さを、以前より感じるようになった。
人は、お腹だけで食事をしているのではない。その場の空気や、一緒にいる人との時間まで含めて、“食べている”のだと思う。
だからあの日のラーメンと焼餃子の満足感を、今でも妙に覚えている。
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