中学1年生の春、私は“幻の地震”を経験した。ある夜、夢の中で天からの声が聞こえてきた。
「地震が来る。早く起きなさい。外にでるよ」
眠気に勝てず、その声を無視して布団に潜った。すると次の瞬間、寒さを感じた。母が布団の中から私を引っ張り出したのだ。
「早く起きなさい!」
母の口調に焦りがあった。
朦朧としている中、服を着せられ、何が起きているのかもわからないまま、家の外に連れ出された。行き先は家近くにある駅前の広場だった。
そこには、すでに多くの人が集まっていた。母に何が起こったのか尋ねると、こう答えた。
「誰かうちのドアを叩いて、“地震がくる”と叫んだのよ。外を見たら、皆が避難している。だから、私たちも出てきたの」
私は“地震”という言葉に、少しだけ覚えがあった。母から聞いた1975年の海城地震、1976年の唐山地震の話。私の故郷の葫蘆島は大きな被害はなかったが、強い揺れを感じたという。特に唐山地震は多くの命が失われ、このときから、人々は「地震🟰恐怖」と思うようになった。広場にいた大人たちは、緊張した表情だった。
でも、私たち子供の関心は、少し違っていた。
「もし地震が来たら、学校、休みになるよね?」
「地震が来てくれたら、明日、学校に行かなくてもいいよね」
同じ学校に通う生徒たちとそんな話をしてから、私は両親の元に戻り、駅の階段に、両親に挟まれるように座った。
あの夜、空にはちぎれた雲が浮かび、白い月が時には顔を出す。風が少し強くて、確かに何かが起こりそうな気配があった。でも、私は両親の間に座り、両サイドから包まれ、不思議に寒さも不安も感じなかった。家族三人寄り添って座る幸福感があった。
地震が来るかどうかなんて、どうでもよくなっていた。「このままずっとここに座りたいな」と思った。
結局2時間待っても、何も起こらなかった。続々と人々が家に戻った。そして朝が来た。学校では「なぜ地震が起きなかったの?」「学校行かなくても済んだのに!」と地震の怖さを知らない子供達の文句があちこちから聞こえてきた。
あの夜、一体誰が最初に地震のデマを流したのか。あまり関心を持ったことはないが、忘れられない時間だった。
それから時が経ち、2025年7月5日、この日に地震が起こるとの予言が話題になった。
娘が読んでいた漫画にその日付が書かれていた。前日の夜、娘が「もし本当に大きな地震が来たらどうする?」と聞いてきた。
私は笑って答えた。
「その時はね、パパとママがあなたを守るよ」
冗談のように言ったけど、その瞬間、あの“幻の地震”の夜、両親にぴったり挟まれて座り、まったく恐怖を感じていなかったあのときを思い出した。
そうか、今度は自分の番なのだ。子を守る気持ちが私の身をじわりと包んでいた。
コメント