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別れはつらいもの

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  木曜日(2/16)、母が日本での滞在を終え、中国に帰国しました。今年経験した最初の別れです。

     空港からの帰りの電車の中、ふと、ずっと疑問に感じていたことをを思い出しました。昨年毎日眠れず考えたあの疑問です。

    「なぜ別れはあるのだろうか?なぜ別れはつらいものなのだろうか?」

     仮に人生が80年だと仮定した場合、私はすでに折り返し地点を過ぎたところです。これまでの人生、たくさんの別れを経験してきました。両親や家族との別れ、友人との別れ、クラスメイトとの別れ、同僚との別れ、恋人との別れ、……。人と別れる際に生じる特殊な感情は自分の意志とは無関係に心に刻みつけられますし、一生忘れられないものも多いです。別れに関する詩句が多いのもこの特殊な感情によるものかもしれません。

   私は「人生若只如初见【読み方:レンシォンルォヂールーチュジィェン】」(訳:出会った時の気持ちのままであれば)という詞がとても好きです。この詞は中国清朝の詩人納蘭性徳氏が書いた『木兰花·拟古决绝词柬友』の中の一句であり、最も強烈的に感情を表した一句でもあると思います。この詞は恋愛感情を持つ男女の出会いから別れまでの心情をわずか数文字で表現したものです。私から見ると別れの存在理由、そして別れがつらい理由の答えが全てこの一句にあると思いました。

   私たちは両親のもとに生まれ、皆と家族になり、そして多くの友人と出会い、共に勉学したクラスメイトや先生と出会い、苦楽を共にする同僚や先輩と出会い、その中で心が通い合う一生の友人とも出会い、互いに愛したけれども一緒になれなかった恋人とも出会い、……、人生があるからこそこれらの出会いがあったわけです。出会った人にはそれぞれ歩む道があり、同じ空間や時間のなかで一緒に過ごすこともあれば、いずれ進む道が分かれてしまうこともあります。その時、元気に「さよなら!また会おう!」と言えば、別れもつらくないはずです。ただ、初めて出会った時の強く強烈な記憶ですら別れによってかき消されてしまう可能性があり、別れという事象を辛いものに仕上げてしまうます。

  納蘭性徳氏の『木兰花·拟古决绝词柬友』、とても美しい詞なのですので、最後に載せます。中国語に興味のある方、ぜひ一読してください。

《木兰花·拟古决绝词柬友》
人生若只如初见,何事秋风悲画扇。
等闲变却故人心,却道故人心易变。
骊山语罢清宵半,泪雨霖铃终不怨。
何如薄幸锦衣郎,比翼连枝当日愿。

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