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高考(ガオカオ)

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   中国全土で、67日より「高考」が始まった。「高考」とは全国統一大学入試の略称で、日本の大学入試センター試験と似ている。この「高考」は、多くの若者にとって人生の大きな転機となるので、「一考定终身(一度の試験で人生が決まる)」とまで言われるほど、社会的にも家庭的にも重圧が大きい。

 

 私は「高考」を経験したのは2001年。その頃はまだ試験期間は77日〜9日だった。今でも、200177日「高考」初日のことをはっきり覚えている。

 

 その日の朝、母がいつも通り早く起きて家の掃除を始めたが、父が「もっと寝かせてあげてほしい」と母を止め、二人は小さな声で少し口喧嘩した。そしてすぐ仲直りした二人は、音を立たないように厨房で朝食の準備をしていた。緊張して早く目覚めた私は、ベッドの上で天井を見ながら起きるタイミングを計っていたが、両親の動きを全て把握した。

 

 「高考」の試験会場は市内にあり、家から車でおおよそ40分の距離だった。私は父がいつも乗っていた会社の車で移動、その後ろに親戚の車がもう一台ついてきていた。万が一、一台の車が故障しても、もう一台の車で試験会場まで移動できるように、周到な準備だった。

 

 「高考」の試験会場に着くと、びっくりするぐらいの人がいた。私の世代は一人っ子が多い、その一人の結果が一家の将来を変えるかもしれないと、多くの親たちが試験会場の外で我が子を見守っていた。

 

 初日の試験は昼休みを挟んでいた。従姉妹も同じ試験会場だったので、父は私たちのために昼休み用のホテルまで予約してくれた。昼食を取り、従姉妹とホテルの部屋で休みを取っている間、私たち二人の両親はホテルの一階で静かに待っていた。

 

 こんなふうにして、三日間があっという間に終わった。12年間、特に高校の3年間は、寝る間も惜しんで勉強してきた。それなのに、たった3日間の試験ですべてが決まってしまうと思うと、ふと虚しく感じた。

 

 数週間後、「高考」の試験結果を電話で確認した。とりあえず、予想した大学の合格ラインにクリアしたことを安堵した。しかし、第一希望の学部にはわずかの点数が届かず、第二希望に回された。第二希望は日本語だった、なぜそれを選んだのか、今でははっきり覚えていない。でも、あの瞬間から、きっと私は日本に来る運命だったのかもしれない。

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