年明け早々、昔の上司である松崎さんが清緑園に訪れました。松崎さんは昨年、癌を患いましたが、強い精神力と楽観的な人生観で癌に打ち勝ちました。「今年は何歳になりますか」と聞くと、「90歳です。まだまだ元気に生きていきますよ!」と笑顔で答えてくれました。
90歳になる松崎主任
2002年、日本に来たばかりの私は、どうやって生活するか。毎日、そればかり考えていました。必死に仕事を探し、新宿の公共職業安定所でやっと東京大学駒場キャンパスの清掃の仕事を見つけました。仕事内容は黒板消しの清掃、ゴミ回収、床のダスキン掃除、トイレ掃除、ビラ拾いなど多岐にわたり、朝7時から11時まで勤務。午後は日本語学校で必死になって日本語を学びました。
当時の現場責任者が、松崎主任でした。彼は私にとって初めての上司でした。
松崎主任と駒場東大キャンパスの並木通りにて
中国から来た時、両親から日本円で57万円を受け取りました。45万円を貯金し、残りで最初の給料まで何とか食いつなごうと思ったのです。そのため、いつも仕事が終わると昼食を抜き、日本語学校に向かいました。20歳の若さで重労働をしていたので、いつもお腹をすかせていました。それを知った松崎主任は、私を弁当屋さんに連れて行き、生姜焼き弁当やポテトサラダを食べさせてくれました。あの時の美味しさは、今でも忘れません。
中国にいる両親に安心してもらうため、松崎主任はカメラを貸してくれ、東京大学での仕事風景や留学生活の写真を撮り、両親に送るようにと言いました。更に、手紙まで書いて、写真と一緒に中国の両親に送りました。今もその手紙は母が大切にしまってあります。
留学仲介会社の学生寮で過ごした3ヶ月間、同室の人と生活リズムが異なり、寝不足が続いていました。状況を変えるため、新しい住まいを探し始めましたが、保証人が必要という大きな壁が立ちはだかりました。
それを知った松崎主任は「保証人になるから、安心して探しなさい」と言いました。更に、パートのおばあちゃんに頼んで一緒に部屋を探し、無事に沼袋にある2万8千円の風呂なしアパート「鴨下荘」を見つけました。鍵を受け取る日、手土産を持って家主に挨拶に行くとき、松崎主任も同行してくれました。
大学に進学し、東大のアルバイトを辞めた後も、松崎主任との連絡は続いていました。しかし、就職し、東京を離れる際に携帯を変えたため、主任との連絡が途絶えてしまいました。2016年のある日、偶然松崎主任の家の電話番号が書かれた手帳を見つけ、直ちに連絡を取りました。その時、家族の前で号泣したことを今も覚えています。
自分は強運の持ち主と思ったことはありませんが、これまでの人生で、さまざまな場面やタイミングで運勢を変えてくれる恩人(中国語では貴人)が現れました。そういう意味では、私は強運の持ち主かもしれません。2024年、波乱の幕開けですが、ご縁や運気を大事にし、強運を信じて頑張りたいと思います。
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