昨日、母が中国に帰った。早朝、車で羽田空港に見送りに向かうとき、車内にApple musicから『ダニー・ボーイ』が流れてきた。まるで、母と子の別れを知っているようなタイミングであり、哀調を帯びたあの曲が心に響いた。
中国には「儿行千里母担忧」という諺がある。子が遠くに行けば,母親の心配は絶えないという意味だ。これが完全に逆になったのが私の場合だろうか。母が私から離れていくと、心配で仕方ない。車内で私の「言い聞かせ」が始まった。
「一人でもちゃんと食べてね」
「スマホばかり見ないで、自分の趣味に時間を費やしてね」
「家事は自分できる範囲で、あとは家政婦に任せてね」
「気が向いたら、旅行でも出掛けて」
「一人でずっといないで、誰かに話しかけてね」
などなど・・・・。
中でも特に心配なのが、母がハマっているスマホのショットドラマだ。大げさに言えば朝昼晩、調理中も食事中も、いつでもショットドラマを見ている。
確かに中国のショットドラマは完成度が高い。私もたまに母が見ているものを横から覗くことがあるが、一つのエピソードは1分から4分程度。一つのエピソードが終わると、ついつい次から次へとクギ付けになり、知らないうちに時間が経ってしまう。時間つぶしにはいいが、生産性のない時間が過ぎていく。私は母にたびたび「ショットドラマに夢中になりすぎないでね」と言うが、母の反応はちょっと反抗期の娘と似ている。
中国では女性が50歳になるとリタイアすることが多い。ちょうどその歳、自分の子が赤ちゃんを産み、共働きの子ども夫婦の代わりに、孫の面倒を見るのが多くの家族の在り方だ。孫が大きくなり、祖父母たちは育児から解放されてヒマになるが、60代以上になると中国では雇用がほとんどない。日本とはまるで違う雇用状況だ。中国人はリタイアすると、毎日、家の中で同じことを繰り返している中で、歳をとっていく。
中国に帰った母は、誰にもとがめられることもなく、毎日ショットドラマを見て暮らすのだろうか。出国ゲートの向こうを曲がろうとした母に、思い切り手を振って無事を祈った。母を思う子の悩みは尽きない。
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