「ながら族(中国語:一心二用族)」というワードを使うのは久々です。「ながら族」という言葉をはじめて知ったのは、私がまだ中国で大学生だったとき、そう、今から22年前のことです。当時、渡辺文江さんという日本人の先生が我々の日本語教室で教鞭を振るっておられました。とても厳しく、膨大な量のテキストの暗記を強いられていたので、今でもその内容を覚えています。今日、とあることでこのワードを思い出したのですが、ネットで調べてみると、この「ながら族」は1959年の流行語だったんですね。このことは今日、初めて知りました。
なぜこの「ながら族」という言葉を思い出したのか?実は今日、厨房に入ってキャベツを切っていると突然、包丁の感覚がおかしくなり、ふと気づくと親指から血が流れていました。最近、厨房に入り、単純作業を行う際には頭の中で別のことを考えることが多かったのですが、、この「ながら作業」が祟ったのかもしれません。ラジオや音楽を聞かないと仕事ができないという「ながら族」の本来の意味と異なるかもしれませんが、この出来事のおかげで指から出血が30分も止まらず、病院で3針縫ってもらう羽目になりました。医者からも全治3週間と言われ、数秒ほど、「あれ?休む口実が出来た?」と思ったのですが、昨今の嬉しい繁盛ぶりを考えるとその望みは一瞬で消えました。もちろん、九本の指で仕事を続けます。
看護師が可愛く包んでもらいました
怪我のことをさておき、中国の大学にいた時の渡辺文江先生のことを思い出しましたので、少し話を続けます。
当時の渡辺文江先生は確か60歳くらい近く、背は低かったもののその歩く姿勢や講義をされる際に生徒に語りかける様にはとてもパワーを感じました。私は入学当時、日本語が全く分かりませんでした。しかし、大学のカリキュラムの都合上、日本語の履修が必要で、これまで日本語を6年以上も勉強してきたモンゴル族や朝鮮族のクラスメイトと一緒に授業を受けさせられ、それはそれは大変な思いをしました。渡辺文江先生は私たち日本語力ゼロの生徒に対しても容赦なく、厳しくご指導されておりました。授業中に恥をかかぬよう、毎朝教科書の朗読と暗記で必死でしたね。
日本に留学に来た翌年(2003年)、帰省した渡辺先生と再会しました。水道橋にある東京歯科大学のレストランで一緒に食事し、日本酒が飲まされ、お年玉までもらいました。今もそのお年玉袋と中のお札を大切に保管しています。その後渡辺先生と再会する機会がないのですが、もしご健在していたら、もう80歳、90歳近いですね。またの再会を願っています!
生徒に囲まれている渡辺先生
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