先日、娘が修学旅行で海外に行った。「出発当日、成田空港まで送るよ」と数日前私の方から言っていたが、娘はあっさりこう言った「友達と一緒に移動するから、大丈夫だよ」。諦めない私は「送らせてよ」とお願いする形になり、やっと娘のOKをもらった。
あのどこに行っても「パパ、送ってね」だった娘は、いつの間にか、親より友達を選ぶようになった。彼女を見送った成田空港からの帰り道、電車の窓の外をぼんやり眺めながら、少しだけ淋しい気持ちになった。
でも思い返してみれば、私も同じだった。15歳、16歳のころ。親に反抗するほど尖ってはいなかったけれど、親に干渉されたくなかったそして、高校受験時、付属高校に行かず、あえて寮生活の高校を選んだ。それから大学に進学、日本への留学、親元を離れ、遠く、さらに遠くに行った。
台湾の著名作家龍応台(ロン・インタイ)のエッセイ集『目送』にある一文を思い出した。
“我慢慢地、慢慢地了解到,所谓父女母子一场,只不过意味着你和他的缘分就是今生今世不断地在目送他的背影渐行渐远。你站立在小路的这一端,看着他逐渐消失在小路转弯的地方,而且,他用背影默默告诉你:不必追。”
(日本語訳)
私はゆっくりと、ゆっくりと理解していった。「父と娘」「母と子」という関係とは、この人生においてただひたすら、あの人の背中がだんだんと遠ざかっていくのを見送るということなのだ。あなたは小道のこちら側に立ち、彼が小道の曲がり角に消えていくのを見送る。そして、彼はその背中で静かにこう伝えるのだ──「追わなくていいよ」と。
自分が親になった今、この一文を、ようやくゆっくりと理解し始めている。
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