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手間に込められた宝物

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    先日、中国の高校時代の友人と再会しました。彼女は久しぶりに生まれ故郷の中国・葫蘆島(ころとう)に帰省し、お土産に殻をむいたピーナッツを持ってきてくれました。

 「このピーナッツはうちのお母さんが、あなたのために一つ一つ手でむいたんですよ」

   この一言を聞いたとき、子ども時代にピーナッツやヒマワリのタネをむいて育った原風景が走馬灯のようにかけめぐり、懐かしさで胸がいっぱいになりました。  

 

友人のお母さんがピーナッツの殻を剥いた上、丁寧に真空包装もしました

    ピーナッツの殻をむくのは大変でした。親指と人差し指でピーナッツの殻の先端部分か中央部分を挟み、指に力を込めて殻をむきます。しかし、殻が硬いので、何百個もむき続けると、指は赤くなるし痛みも感じます。この大変さを知っているので、お母さんが一つ一つを手でむいたと聞いて、目の前にあるピーナッツの一粒一粒が宝物のように感じました。

    私はピーナッツとヒマワリのタネを食べるのが大好きでした。しかしどちらも殻をむくのは大変でした。幼いころ、母がよくヒマワリのタネをむいて食べさせてくれました。おばあちゃんの家に行ったとき、帰りにヒマワリのタネをむいてくれたお土産を袋いっぱい持たせてくれたこともありました。

   子どもだった私には、当たり前のように感じていましたが、大人になったいま、その行為に込められた愛情の深さに気付かされています。

   現代の生活はどんどん便利になっています。手間のかかることをできるだけ避け、効率的に物事を進めることが良いとされています。しかし時には、手間を惜しまないことこそが、深い愛情や思いやりの表れになるということがあります。

   体裁のいいピーナッツは、いまどこでも安く販売しています。友人のお母さんがピーナッツの殻をむいて手土産として持たせたのは、中国の農村地帯で育った私たちに往時のころを忘れないようにという気持ちであり、大人や親の愛情と思いやりだったのです。殻をむいた宝物のピーナッツが、そのことを思い出させてくれたのでした。

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