BLOGブログ

BLOG

5

トマト・納豆・ヨーグルト

ブログ

 私には日本のお父さんがいる。彼の名は松崎修二。私が日本にきて初めてのアルバイト先の上司だった。

 それは東大駒場キャンパスで清掃のアルバイトだった。私が入ったことで、仕事仲間の平均年齢は一気に下がった。一番若かった私は、食べる量も働く量も他の年配スタッフより多かった。一方、貧乏学生だったので、時には昼食を抜いて午後の日本語学校に通うこともしばしばあった。それを知った松崎さんは、弁当屋に連れていき、生姜焼き弁当を買ってくれたり、「野菜をちゃんと摂らないとダメだ」と、コンビニのサラダを買ってきてくれることもあった。

 アルバイトを始めて1ヶ月ぐらい経った日、松崎さんはカメラを持ってきて「日本生活の写真を撮って、中国にいる両親に送りなさい」と言った。そして松崎さんは、中国にいる私の両親に手紙まで書いてくれた。「あなたの息子が頑張っているよ。面倒を見るから、安心しなさい」というような内容だった。日本語の手紙だったが、両親はとても感動したと語っていた。

 社会人になってから、携帯を変えていくうち、松崎さんの電話番号を紛失し、連絡が途絶えてしまった。中国には「縁深自会相逢」という言葉がある。深い縁があれば、たとえ時を経ても、必ずまた巡り会うという意味だ。その言葉通り、ある日、昔の手帳を見つけ、そこに松崎さんの電話番号があった。すぐに電話をしてご無沙汰を詫びたが、嬉しくて思わず涙がでた。

 毎年、正月になると松崎さんは、必ず友人や家族を連れて清緑園にくる。よく食べ、よく飲み、よく笑う。それを見て私も安心する。2025年のはじめ、松崎さんから電話があり、「三人で行くから、席を用意してね」との連絡だった。ところが、来たのは奥様といつもの友人二人だった。

 そのとき初めて、松崎さんが入院していることがわかった。2024年の末、松崎さんはエスカレーターに乗る際にバランスを崩し、そのまま後ろに倒れ、後頭部をエスカレーターに打ち付け、救急車で病院に運ばれた。それから5ヶ月以上の入院生活を送ることになった。お見舞いに行きたいので病院に頼んでみたが、規則でできないという。

 会えないまま、松崎さんが3月末に退院された。私が「4月末に会いに行くよ」と電話したが、ゴールデンウィーク前後で仕事が忙しく、結局会いに行けなかった。突然、松崎さんから連絡があり、清緑園に家族連れで来てくれた。入院生活の間に、松崎さんは90歳の誕生日を迎えていた。大好きなお酒を飲めなくなったが、「やっぱり清緑園の料理は美味しいな」と嬉しそうに食べ、家族との談笑で笑いが止まらなかった。

 ふいに「忙しいと思うけど、ちゃんと食べているか」と松崎さんに聞かれた。あのバイト時代に何度も言われた言葉であり、生姜焼き弁当を買ってくれた往時のことを思い出し、胸につきあげてくるものがあった。

 「毎日、トマト・納豆・ヨーグルトを食べるのが、元気の秘訣だよ」と90歳まで元気に生きてきた松崎さんの養生訓を教えてくれた。「日本のお父さん」は、このまま100歳まで健在であることを確信した。

RELATED

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP