2月9日は中国の「除夕(チュシー)」(=大晦日)、そして2月10日からは旧暦の2024年が始まりました。中国語では「过年(グゥォニィェン)」と言います。「新年を過ごす」という意味です。
中国では、新年を新鮮な気持ちで過ごすことを「年味(ニィェンウェイ)」とも言います。「过年」という特別な期間に感じる独特の感情や雰囲気を指します。日本語であえて言うなら「お正月気分」とでも言うのでしょうか。
大晦日の日に家族が集まってお節料理を食べ、紅白歌合戦を見ながら、一家で談笑し、新年早々に初詣に行く。これはかつての日本のどの家庭でも展開されていた「年味」のようですが、いまは全く違った光景のようです。
私の記憶にある「年味」は、昔のままですが、もう2度と味わえないものです。「除夕」の夜は、お父さん側の家族と一緒に過ごすのが習慣でした。私はよく祖母と一緒に大掃除をし、春聯を貼り、家の入口には福の字を逆さまに掲げていました。「福が到来する」という願いを込めたこの風習は、中国のどの家庭でも見られる光景です。
そして家族全員が集まり、役割分担して夕飯の準備をし、18時頃に「年夜飯」を食べます。普段あまり食べられない豪華なご馳走なので、いつもお腹いっぱい食べました。食事の後、大人は麻雀をし、子供たちは「春節連欢晚会」(中国の紅白歌合戦のような番組)を見ていました。
子どもはいつしか眠ってしまうことが多いのですが、元旦零時になる直前に必ず起こされ、従兄弟たちと一緒に零時に合わせて「放鞭炮(ファンビィエンパオ)」(花火をする)をします。 この時間になると、至る所で爆竹の音がするので、眠気は吹っ飛びとても楽しい時間でした。やがて大人たちは餃子を包み、それを皆で食べて年を越しました。
そして、新年の初日はお母さん側の家族と一緒に過ごしていました。新しい服に着替えて外祖母の家に行くあのワクワク感が今も忘れられません。外祖母がいつも私の大好物の「炸枣(ヂャザオ)」(ナツメの揚げ物)や「麻花」を作ってくれました。家に着くと、まず外祖父に「磕头(クェ゛ァトウ)」(頭を地につける礼)をしてお年玉をもらいます。これは春節の最高の思い出の一つです。
従姉妹の中で男は私だけだったので、いつも私が頭を地につける時の音が一番大きかったです。その後は食べること、従姉妹と遊ぶことの連続でした。普段会えない親戚も多かったので、一族の絆がそこで強化される時間でした。
しかし、この記憶は中学生の時に止まりました。段々と家族と離れ、「年味」を味わえなくなりました。今は便利な時代になり、テレビ電話で遠隔の家族や親戚と年を越します。昔五感で感じられた「年味」を再び体験することはなくなりました。
振り返ればあの時代の光景が記憶の底から湧いてきて、たとえようもない懐かしさがこみあげてきます。
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